荒川 弘『銀の匙』・地方紙新聞記者 シミズさんオススメ

おすすめ本 File 070
「20代の、夢を持てない人たち」へ

シミズ

 

SilverSpoonTVアニメ化、映画化された超人気作。ほのぼのとした学園漫画ですが、日本の農業を 取り巻く現状がリアルに描かれている部分もあり、一度読んでおいて損はない良作です。 「農業」や「食」の問題がクローズアップされるので、その業界の人にとって共感できる 部分が多いのでは。また、自分の将来像をうまく描けない人にも、おすすめできます。

舞台は北海道の大蝦夷農業高等学校。主人公の八軒勇吾は学歴を偏重する父親に反発して全寮制のおおらかな農業高校にやってきますが、かと言って農業関係の仕事に就きたいわけでもなく、自分の明確な将来像を見いだせないでいます。

 

周囲のクラスメートはみな「大規模牧場の経営者になる」「獣医」「チーズ工房を立ち 上げたい」など、はっきりとした夢の持ち主ばかり。いち消費者としてしか「農業」に 接してこなかった八軒は、実習などで現場のリアルさに圧倒され、自然と農業に対する向 き合い方を変えていきます。

「鶏は卵を肛門から産む」などの豆知識も面白いですが、八軒が柔軟に意識を変え、 周囲に積極的にかかわっていこうとする成長の様子は、社会でも常に意識の変革を求 められる私たちにも通じる部分があると思います。また、周囲を理解しようとする過程 で、「なぜそうなるのか」と外部の目線から尋ねる部分が多く出てきます。漫画的には、農業のいろはをクラスメートの口から語らせるための「解説」的な部分だったりす るのかもしれませんが、八軒が新鮮な視点を提供することでその分野にどっぷり浸かった人たちには、当たり前だったことが当たり前じゃなかったという気づきのきっかけ になります。視点を変えてみることの大切さも伝えているような気がします。  

私がつい注目してしまうのは、八軒の兄、慎吾です。何しろ、東大に現役合格してすぐ に中退し、ラーメン店に弟子入りしてしまうという、いい意味で八軒と違った奇想天外な 生き方をしている人物。 思うように成績を上げることができず、半ばドロップアウトの ように農業高校に進んだ八軒は兄に強いコンプレックスを抱いていますが、兄も各地を放 浪して、本気でラーメン店を構えたいのかわからないような様子(味覚音痴なのでそもそ も無理だとは思うのですが)。結婚後、ロシア人女性のアドバイスでインターネットを使 った家庭教師を始めます。  

将来像を描けない八軒兄弟のほかにも、実家が離農して農業を継ぐことがままならなくなったとか、ばんえい競走馬の厩舎で働くために大学進学しなければならなくなったと か、夢の実現のためにいくつもハードルを乗り越えなければならないクラスメートたちが 登場します。状況は自分の意識次第で変えられるということを、彼らが教えてくれます。 困難に立ち向かう様子を見るだけでも、ちょっと前向きな気持ちになれるのではないでし ょうか。

しかし、やっぱり物語自体はほのぼのとした学園漫画なので、単純に面白さを求めて いる人にもおすすめです。作者の荒川さん自身が農業高校出身で、実家が酪農などを経 営されている様子。経験に裏打ちされたリアリティが真実味を与えています。この本を 読んだ若い世代が、将来の職業の選択肢に農業を加えてくれると、日本の農業も面白く なってくるのでしょうか。

地方紙新聞記者 シミズさんのプロフィール

1979年生まれ。2002年、地方のとある新聞社に入社。営業部門とタウン誌部 門を経て、社会部記者に。普段読む本は漫画が8割